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読書クラブ 2

 その日の夜、日本語のレッスンが終わって、パソコンのメールチェックをした。
シュミットからの今夜送られたメールが来ていた。えみはメールを開いて読んだ。
『川原さん、今日はおあいできてうれしく思いました。もしよければ土曜日、2人で「読書クラブ」をしませんか?メールをまっています。シュミット』
疲れていた事もあり断わる理由を考えるのも面倒で、えみはこう書いてメールを出した。
『シュミットさん。メールありがとうございます。それでは土曜日にクラブを開きましょう。場所は私のアパートです。駅からメールをくださればお迎えに行きます。川原 』

 土曜日の2時少し前にシュミットから、「今、えきです」というメールが届いた。えみは薄いパープルのスプリング・コートを着てすぐに駅へ向かった。
 シュミットは改札口を出て切符の自動販売機の前に立っていた。
背はあまり高い方ではなく黒い髪を清潔な感じにカットしてブルーのアウトドア用のジャケットを着ている。えみを見つけるとゆっくりとえみの前に来て微笑みながら言う。
「こんにちは。クラブを開いてもらってうれしいです。ありがとうございます」
「私もクラブが開けて良かったと思っています」

 2人はえみのアパートのある通りへ出て、ゆっくり並んで歩いた。
今週の初めから咲き始めた桜が見ごろでこの週末は満開になると思われた。
「お花見はしましたか?」
「いえ、していません。でも楽しいですよね、お花見は」
シュミットはえみを見ながら答えた。そして続けて言った。
「すてきな色のコートですね、僕その色好きです」
えみは急にコートを褒められ戸惑った。うれしいとなぜか言えない。でも陽気な声で言った。
「どうもありがとう。私もこの色が気に入って買ったの」
そしてアパートに着いてメールボックスから郵便物を取り出しドアを開けシュミットを通し、一階にいたエレベーターに乗りえみが8階のボタンを押す。シュミットはえみが持つ郵便物にアマゾンコムの封筒を見つけ興味を持つ。そしてエレベーターは8階に止まった。
えみが先にエレベーターを降りドアの並ぶ通路へ行く。シュミットが8階からの眺めを楽しんでいるのが分かると、えみは立ち止まり隣の建物の裏庭を指差して言った。
「シュミットさん、ほら見て、桜。きれいでしょう」
シュミットはえみが指差す方へ目線を落とし、5割程度咲いている大きな桜の木を見た。
「ここからお花見が出来ますね。良いなぁ・・・・」

 えみがドアの鍵を開け、シュミットを呼ぶ。そしてふたりは部屋の中へ入って行った。
えみはシュミットをリビングルームへ通し、コートを脱ぐとシュミットに尋ねた。
「ジャケットを預かりましょうか?それに好きな場所に座ってください」
シュミットは部屋の真ん中にあるテーブルの1つの椅子の背もたれにジャケットを掛けその椅子に座った。それを見たえみはシュミットに聞いた。
「飲み物は何が良いですか?と言っても、紅茶とミネラルウォーターしかないけれど」
「川原さんは何をのみますか?」
「私は紅茶だけれど・・・」
「じゃ僕も同じものをお願いします」
「アールグレイとダージリンがあるけれど、どちらが良い?それとミルクとお砂糖は?」
「アールグレイとミルクを」
えみはキッチンでアールグレイをポットに作りマグに注いでミルクのコップと一緒にリビングへ運んだ。シュミットは出された紅茶にミルクを入れ一口飲んで言った。
「美味しいです。ありがとうございます」
えみは早速クラブを始めようとテーブルに本を置き、シュミットに質問を始めた。
「シュミットさんはこの本が好きですか?」
「好きじゃないけれど、良い本だと思います。テーマは愛だし」
「シュミットさんはいつこの本を読んだんですか?」
そんな質問をしながらえみは、事前に質問のリストを作らなかった事を後悔した。
「大学生の時です。オックスフォードの古本屋で見つけて読みました。ケイトはメインキャラクターとしてはとても魅力的です。激しい情熱を密かに隠し持っていてその情熱がこの物語の悲劇にもなっている。あの、良ければシュミットと読んでください」
えみはシュミットの話す日本語を聞いていた。シュミットが何を話しているかではなく、彼が話す日本語を聞いていた。彼の声で話される日本語はえみには素敵な音だった。しかし、えみは今シュミットが“オックスフォード”と言ったのを聞き逃さなかった。
「大学はオックスフォード大学ですか?」
シュミットは紅茶を一口飲んでえみを見ながら答えた。
「いいえ。ちがいます。でも僕の大学はオックスフォードにありましたけれど」
えみは少しイジワルそうな顔を作って見せ、シュミットに話しかけた。
「関係ない本の話ですけれど、『森の生活』って本、ご存知ですか?」
シュミットは口元へ持って行っていたマグをそこで止めて
「ソローの?」
と聞くと、一口紅茶を飲んだ。
えみは急に嬉しくなり、思わず笑顔になった。
「ええ、そう、ウォールデン、ソローの書いた。ご存知なんですね」
シュミットは少し不思議そうな顔をしながらもえみに言った。
「大学の時、どこかを旅行している時に読みましたよ。季節が良かったから、寝袋で寝ながら読んだ事もあって・・・まぁピッタリですよね、そんな時に読むには」
えみはその質問をした理由を話した。
「以前英会話を勉強しようと思って、街のカルチャーセンターで見つけた3人の先生に会ったの。1人の先生はオックスフォード大学卒業の人。『森は自分の聖地だ』と言われたの。だから聞いたの『ソローの『森の生活』は読みましたか?』って。そしたらその方、『そんな本、知らない』って言われて・・・・・」
えみがすこし笑いながら話すので、シュミットも笑顔になって話した。
「彼らはとても忙しいんですよ、勉強に。すごい大学を出たって事はそれだけ勉強したって事です。僕みたいに小さな大学で勉強したのとは違いますよ」
えみは自分が小さな視野で物を見ていた事を恥ずかしく思って、すこし神妙な顔をした。
えみのその思いを読み取ったのか、シュミットが今度は話し出した。
「でも、その人はきっと森で時間を過ごすのが好きなんでしょう。なら読むべきだよ、あの本は。たしかにかなりボリュムのある本だけれど・・・」
えみはその言葉に笑顔を取り戻し、つぶやいた。
「確か昨年、改訂判が出たはず。その人にプレゼントすれば良かったわ・・・・」
そして2人は「鳩の翼」の話に戻った。

 2時間後、テーブルから離れるシュミットは言った。
「楽しい時間でした。できればこのクラブを続けませんか?僕は続けたいのですが・・」
えみもこの2時間の楽しさ、本を語る楽しさを続けたいと思った。それは以外だったが。
「喜んで。じゃ来月は何の本にします?」
シュミットはジャケットを着ながら答えた。
「ツルゲーネフの『初恋』」
えみは笑顔で答えた。
「それなら10代の頃に読んだわ。」
「じゃ1ヶ月も待たなくていいですね。今度の土曜日はどうですか?」
えみはシュミットの素早い提案を魅力的だと思ったが、すぐに返事が出来なかった。それを察したのか、シュミットがこう言った。
「このクラブで好きな本の話が出来る事は楽しい。もっと好きな本の話をしましょう」
えみはそう言うシュミットに押される感じで答えた。
「じゃ土曜日の同じ時間、ここで。本は『初恋』?もっと最近の本でも良いんですよ」
「じゃ『アメリカン・サイコ』にしましょうか?」
そう言うとシュミットはニヤリと笑ってえみを見た。
「あーぁ!それは許して!でもシュミットさんが是非を言うならば挑戦しますけれど」
えみはそう言いながら苦笑いをして見せた。
「うそですよ、ごめんなさい。『初恋』にしましょう」
「安心しました。じゃ土曜日に」
と明るく答え笑顔でシュミットを送り出した。
肌寒いこの季節に自分の顔の火照りを感じる。でもそれを気に止めず、考える事も止めた。


To be continue......

by mercedes88 | 2005-10-29 23:59 | ストーリー
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