カテゴリ:思い出( 29 )

『Fly with the wind』を買った理由

初めて村上春樹がネット上でHPを開き、ファンとメールのやり取りを始めた時。
1人のファンからのこんな感じのメールがありました。

ー実は引越しの際、お気に入り曲の入ったテープを失くしてしまった。
友達にもらって気に入り、テープが伸びるほど聞いていたのに。
アルバムの名前も分からない。
最初の曲のイントロは『びょ~~んびょびょびょ~~んびょんびょんびょ~ん・・・』という感じ。
出来ればCDを買いたい。春樹さん、曲名分かりますか?ー

春樹ちゃんの返信は
ー『びょ~~んびょびょびょ~~…』ですか・・・
それはきっとMcCoy Tynerの『Fly with the wind』ではないかと思われますー

その後質問を投げかけたファンから再びメール。
ーこの曲です!ありがとうございました!-

このやり取りを読んで私は思いました。
こんな『びょ~~んびょびょびょ~~ん・・・・』で分かるなんて一体どんなイントロなんだろう・・・
ネットでセールのこのアルバムCDを買い、思いました。
あぁ、これがあの、びょ~~んびょびょびょ~~んってのか・・・中々良い曲じゃないの。
後に知りましたが、発売当時はかなりヒットしたアルバムとの事。
ジャズに詳しい方なら、びょ~~んびょびょびょ~・・・で十分それと分かる曲なのでしょう。

人が自分の感覚を言葉にして、それを正確に受け止める事は結構困難だと思っていました。
でもこの曲は『びょ~~んびょびょ・・・』で十分な情報だったし、まさにそれそのものでした。

歌詞が無い曲はタイトルのイメージで聴きます。
たまにその感じを人に話すと、全く違うイメージを口にする人もいます。
その辺がまた、面白いなぁ、とも思います。
たまには、同じ様な感じを話す人もいます。
それはそれで、うれしいなぁ、と思います。

『Fly with the wind』
イントロの柔かな風に身を任せると曲が進むにつて
いくつもの山を山頂から駆け下り、駆け上り、連なる山々を飛び越え
美しいジャケットので優雅にしている雲たちの中を
バァーンと突き抜けて行くって感じがしました。
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by mercedes88 | 2009-05-03 07:35 | 思い出

海の上の雲と鏡の中の雲 そして空

ある日の島での夕暮れ写真です。
いつもお邪魔しているseedsbookさまのサイトのお写真があまりに素敵で愛らしくて・・・
そういえば以前、似た様な写真を撮ったなぁ・・・と思い 見てみました。
そして思いました・・・はぁ~なにか・・・パッとしませんねぇ~。
でも、seedsbookさまとフォト・レターしたみたいで一人で喜んでいます。
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いつも雲を見る為空ばかり見ているきがします。
素敵な雲を見かけると嬉しくなります。
そして ある日 こんなのも見つけました。
緑が好きな私は思わず笑顔になりました。
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by mercedes88 | 2009-04-10 21:28 | 思い出

無言で去る彼

友達が「パイの物語」を勧めてくれた。
翻訳が出版され、すぐ買ってパッと読み終え、電話して感動したと話す。
「あっと言う間に読めたよ。面白かったぁ。
最後もイイね。私ね、リチャード・パーカーが去って行くところがさぁ
彼 何にも云わずに振り向きもせずに去って行くじゃない・・・涙出てきて・・・」
電話口の向こうから大声で笑う声が聞こえる。
涙を流さんばかりに笑う彼女の姿が目にうかぶ。
「泣いたの?ホント!イャ~子供みたい!
トラだもん、リチャード・パーカー、何にも言えないよー!」
でも振り向いてくれてもいいじゃない、チラッとでも。
で「またな」とか「像とは組むな」とか言うのは・・・やっぱりダメか・・・。
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by mercedes88 | 2008-08-27 17:48 | 思い出

ランチ配達

ある日友達がランチに誘ってくれた。
車の助手席でぼーっとしていると前方に郵便配達のバイクが現れた。
ほか弁の容器が4つ入った袋を両方の手に2つずつさげた郵便配達屋さんは
颯爽と私たちの車の前を走っている。

きっと同僚のお弁当も買って、自分の職場に戻っているのだろう。
「郵便屋さんがほか弁配達って、なんだかイイねー」(ちょっと危ないかも知れないけれど)
そう軽く言いながらも、私はその状況にかなり感動してしまった。
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by mercedes88 | 2008-08-21 18:11 | 思い出

落ちる

家の近くに鉄道の上に架かった陸橋があった。
すごく古くて鉄の枠以外は石だった。
コンクリートで作られた物だったのかも知れない。
でもまだ幼稚園へ上がる前の子供は、それは石だった。
畳一畳を3つに切ったうちの1つ程度の大きさの石が
横に2枚鉄枠の上に乗せられ、それが何メートルか続いて作られていた陸橋の橋の部分。
階段の部分は、畳を長く半分に切ったサイズが1枚使われていた。

子供のころ、この陸橋を渡る際に音を鳴らさずに歩く遊びをよくした。
いろんな要因から鉄枠の形にどこか合わなくなった石は
その微かな隙間部分に足を乗せると『ガタッ』とか『ゴトンッ』と言った音を出した。
橋の向こうにしかお店がないので、買い物に付いていく時に
“今日は2つまでなら音鳴らしても良いことにしよう”など
ルールを作って陸橋渡りを楽しんでいた。
ここの部分は音がならない、ここは大丈夫、と確信していても
それは全く当てにならなかった。
幼馴染と歩きながら「3つめ鳴らした!」と大声を出したりして渡っていた。
そこはハイな遊び場だった。

小学校へ上がる少し前、橋の向こうにある祖母の家へ行った帰りに階段を昇りかけると
階段の途中で泣いている女の子供と母親がいた。
子供は声を出して「怖いよ~怖いよ~」と泣いてうずくまっていた。
横でたたずむ母親は、女の子を見ながら横を昇っていく私にほんの少し笑いかけて
女の子を抱き寄せながら
「ほら、お姉ちゃん見てごらん、ちゃんと登っているよ。
さぁお母さんと一緒なら大丈夫だから、がんばって登ろう」
と女の子に話していた。
確かに階段部分は鉄枠に石盤が乗せられただけで段と段の間には隙間がある。
大人でも初めてならば多少は恐怖を感じるものだっただろう。
女の子に言いたかった。
『上に来たら石にひびが入っていて、地面が見える所もあって、ガタンって音もする所もあって、もっと怖いよ!今ならまだ間に合うから、下に降りて!上がって来ちゃダメよ!』

いつ頃からか、この陸橋の夢を見る様になった。
そして何度も繰り返し同じ夢を見た。

その陸橋が家の裏の方へ、熱くなった鉄がゆっくり歪んで倒れていく。
その時自分は橋の上に立っていて、子供の手なら3本指が入るくらいのひし形で囲われたその1つの鉄条網を握り締め近づいてくる自分の家を震えながら見ている。
落ちる感覚を覚えている。
ゆっくりと、まるで自分の体重が原因かと思われる程度のスピードで、落ちていく。
真夜中なのか、他には誰も陸橋にはおらず、自分の視野の中にも誰一人いない。
一定のスピードで橋が崩れ落ちて行く、自分を乗せたまま。
地面が近づいた時、思い切って階段の方へ走り、家の裏手の草むらに飛び降りる。
そして落ちてくる陸橋を避けるため後ろを振り返ると
陸橋は妙な形のまま、崩れ落ちる事に興味を無くし、静止していた。

そこでいつも目を覚まして布団の上に起きる。
汗をかいていて、息がし辛い。怖い。ものすごく怖い。
でも、しばらくするとまた横になり眠りにつく。
そしていつもと同じ朝を迎える。

名古屋で研修があって出かけた際、せっかくだからと言うことでテレビ塔に登った。
エレベーターで上まで登ると、同僚が急に言った。
「私達がエレベーターを降りたら、2人の体重で塔が倒れ始めたらどうします!
わぁ、怖い!このまま帰りましょう」
それでも何とか説得してエレベーターを降りた我々。
しかし同僚は決して窓際へは近づかなかった。
笑ってー2人あわせても100Kgにはならないよーと言っても同僚は怖がった。

「それでも、そっちに行ったら塔が倒れる気がするんです。
今までは大丈夫だったけれど、私達の体重でとうとう限界が来て、倒れる気がするんです。」

同僚がそう言った時、陸橋の夢を思い出した。
そして、あの落ちて行く感覚がはっきりと背中に走った。
そして同僚が言うとおり、我々は窓際へは行かずに
エレベーターのまわりをグルリと回ってさっさと降りてホテルへ戻った。
ホテルで同僚がテレビを見ている姿を見ながら
もしかすると、あの時、陸橋の階段で泣いていた子は、同僚かも知れない、と思った。
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by mercedes88 | 2008-08-17 17:16 | 思い出

音のない音楽会

10代のころのある春休み、風邪をこじらせ、3日間家に閉じ込められた。
「薬を飲めば熱は下がる。3日間なんて大げさな!
流行りの風邪じゃないんだから、2日も寝てれば十分、3日間なんて必要ない!」
そう叫びに近いか細い声で訴えるも、冷酷な連中は即その意見を却下。

食事のたびに出るお粥、チキンスープ、そして病院から出された薬。
食欲はなくても元気に布団から飛び起き、出されたものを全部食べて
「ホラ、もう大丈夫、ね!」
そういう演技もうちの祖母には全く通用しなかった。

寝てなさい、と言われても、ずっと寝ていられるわけがない。
頭はずっと考えている。
この風邪の厄病神が去ると云われる3日目の夜
グレン・ミラー・オーケストラのコンサートが街で行われる。
今そのチケットが1枚、映画スターや友達の電話番号の書かれた手帳に挟まれた状態で
静かに出番を待っている事について。

風邪の厄病神が去り、家からようやく出る事が出来る様になった。
体調が良くなる事はうれしい事だけれど
いまだにきれいな形のまま手帳に挟まれた1枚のチケットを見ると
小さなため息が何度も出てしまった。

厄病神が去って2日後、街へ出掛けることにした。
本屋へ行って、レコード屋をのぞいて、ぶらぶらして帰ってこよう・・・。
お昼頃家を出て3時頃帰りのバスに乗った。
後ろの方の2人掛けの窓際の席に座る。
バスには数人しか乗っていなかった。

知っている街だけれど、バスの窓から見ると、知っている場所でも
どこか違って見える気がするのが不思議な気がした。
赤信号でバスが止まり窓からの景色が大通りの大きなオフィスビルのエントランスになった。
思わずふぅ、とため息をついた。

隣の車線に大型バスがやはり赤信号のため止まった。
バスからの風景が一変した。
隣のバスは車体全体が真赤だった。
私の窓の真向いには隣のバスの窓があり外国人がちょうどこちらを向いて乗っていた。
私は視線をずらそうと下を向く隣のバスの車体に書かれた
―グレン・ミラー・オーケストラー
という文字が目に入った。
私は驚いて思わず声が出そうな口元に両手を当てた。

隣のバスの向かいの窓際の男性は私と同じポーズを取り、そして口元から両手を離すと
にっこり笑って片手を振ってくれた。
私も両手を口元から離し、やや微笑みながら手を振った。
そして信号が青に変わって赤いバスが先に動き始めた。

しばらく私は微かに笑っていたかも知れない。
未だバッグの中の手帳に挟んだままのチケットが、今使えたみたいな気がして。
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by mercedes88 | 2008-08-10 16:03 | 思い出

あるThe New yorkerからの思い出

あれはロス五輪の年の、おそらく5月頃までの間にあった事だと思います。
(いつも無精で、不確かな事ばかり書いている・・・反省しています)

英語が読めませんが、実は以前時々アメリカの雑誌The New Yorkerを買っていました。
輸入ものですから値段も高い。でも表紙が好きだったりすると買って部屋に飾っていました。
中のイラストも愉快で楽しくて・・・小さな贅沢でした。
私の街の大きな本屋さんでも2冊程しか入荷がなく
表紙が気に入って買えた時はとてもうれしかった事を覚えています。

ある日、その本屋さんの洋書コーナーへ行くと
素敵な表紙のThe New Yorkerがありました。
オーケストラがステージで演奏を終えたところなのでしょう。
シンバル奏者に対して、指揮者、観客
さらに他のオケのメンバーが拍手をしている絵でした。
書かれている人物が皆、良い笑顔でした。
しかし私のお財布には雑誌を購入するに足りるお金は入っていませんでした。
取っておいてくれるかどうか、お店の人に尋ねたけれど、それは出来ない、との事でした。
そして翌日仕事帰りに本屋さんへ”買うぞ!”と出かけると、もうすでに売れていました。

良く覚えていないけれど、諦めの悪い私ですから
いろんな本屋さんへ電話を入れたと思います。
たとえばイエナ書店などに。
でも私の街に届く前にイエナなどの東京の書店に届くでしょうから
当然売れているわけです。
そうすると、余計に「あぁ、あの表紙、良かったのになぁ・・・・」となるわけです。

私の街にアメリカン・センターというところがあって、アメリカの雑誌を置いています。
入って読むことはできます。
もちろんずーと雑誌を残しておく事は不可能だと思った私は電話でお願いしました。
「捨てる時、頂けませんか?」と。
でも、それは出来ないと言われました。

でも、なんとか入手したい。NJのJudyに頼んで、探してもらう事も思いました。
でも、やはりまだ何か自分で出来ることはないか・・・と考えました。
もうこうなったら、表紙を写真に撮るとか、そんな事でも良い!

で、ふっと浮かんだのが、常盤新平さんでした。
まだ翻訳中心のお仕事の頃で、出版される本は全部読んでいました。
そこで私は凄い行動に出たのです。
常盤新平さんという人が、私の突っ走り行動を何だか許してくれ”そうな"気がしたので・・・。
(まぁ私だから、何でもやってしまう、という感じが本当のところですね)
最後に常盤さんの本が出版された出版社へ電話をかけて
常盤新平さんとコンタクトは取れないかと聞いたのです。
ーあの方なら解決出来る問題を抱えていまして・・・ーと。
すると、なんとその出版社は常盤さんの自宅の電話番号を教えたんですよ。
今じゃ考えられませんよね。
もちろんすぐかけました。奥様がお出になられて
「今、どこそこのホテルで缶詰になって書いているんです・・・番号お教えしますね」
えーっ、かけてもいいんでしょうか?とう感じで恐縮(?!)すると
「かまいませんよ」との事でした。

それですぐ電話をかけて直接、憧れの常盤新平さんとお話をしたわけです。
「常盤先生」とお呼びすると「先生なんてもんじゃないですよ」と笑って仰いました。
それで、ーこの表紙にのThe New Yorkerを探しているのです。
もしお持ちでしたら、一時御借りできないものか、写真を撮って必ずお返ししますからー
とお話したら
ー確かに覚えているけれど、おそらく処分したと思う。
たくさんの本や雑誌が送られてくるので、必要なものにだけ目を通し処分するので
数か月も前の、特に雑誌はないでしょうー
との事でした。

今に冷静に考えると、そう答えるのが当然かもしれませんよね。
電話まで掛けてくるどこの誰かもわからない人間とかかわりあいたくないでしょうから。
何でもやってしまう私も、ここでさすがに断念しました。
断念というよりも”満足”とか”ラッキー!”かもしれませんね。
それで常盤さんの電話番号を教えてくれた出版社へ
常盤新平さん宛でのお礼の手紙を出しました。

そしてしばらくし・・・・・・
私はローラーコースターに乗る為の旅に出かける日を迎えました。
ロス五輪が終わって数日後の事です。
出掛ける前に家のポストを見ると、小冊子郵便が届いていました。
青いインクの万年筆で私の名前と住所が書かれていて
裏には常盤新平さんのご住所とお名前が書かれていました。
家にも入らずその場で封筒を開けると
常盤さんが翻訳されたアーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」の文庫本が入っていて
同封されていたメモに
「お役に立てなくて申し訳ありません」そして自分が翻訳して本、よければ読んでください、
と書かれていました。
私はその本を単行本でもっていましたが、その日送られて来た本をこれから行くアメリカへ
一緒に持っていくことにしました。

今は直木賞作家となられた常盤新平さん。
ー私が好きで、何度も歩いたNYは、いつも常盤新平さんが道案内だったー
その思いは、今も変わりません。

しかし、本当に私は、恐れを知らない人間だったなぁ・・・(今もだ!)


全く関係ない話だけれど
ロス五輪で背泳ぎのリック・ケアリーが(100mか200mか不明)仏頂顔で表彰台に乗り
テレビや新聞で彼のその行為と表情を知ったアメリカ国民から
凄いバッシングが来て,彼は数日後新聞に謝罪文を載せた事はしっかりと覚えているのに
何が不満だったのだろうか・・・金メダルは取っているんだけれどなぁ・・・。
イケメンと言うと、こんな事まで覚えているにも関わらず、肝心の理由を覚えていないなんて
実に私らしい事であります。
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by mercedes88 | 2008-08-03 18:05 | 思い出

鉛筆削りから思い出した事

昨日家具屋さんをブラブラしていて鉛筆削りを購入。(家具屋さんで?)
以前ヨーロッパの美術館に同じタイプのものが売っていて
それを5,6個買って使っていたら、全部消えていた。
今回は「LYRA」のもの。

スキポール空港の搭乗ゲートで待ち時間を過ごしている時、急にはがきを書こう!と思った。
何故そう思ったか、と言うと搭乗ゲートの前に郵便局があったから。
持っていた鉛筆削りでゴリゴリ鉛筆を削り、何かを書いて切手を買いにその郵便局へ行った。
そこで随分わがままなことをした。
おつりを全部切手にしてもらった。-とんでもない日本人だーとか思われたかも。
でも窓口のおじさんは、嫌な顔せず、おつりを切手にしてくれた。
わがままだったけれど、売り上げには貢献した・・・。
窓口で思い出したけれど
イタリアで、切手購入の為郵便局の窓口で並んでる時
現地で知り合った日本人の女の子が飛んで来て
「今、切手売ってくれた窓口のお兄さんが私にウインクしたの!」
と気味悪がっていた。
私は「あら、良いじゃない!」と言ったと同時に私にはしないだろう・・・と思った。
そのお兄さんそれほど美形とは思わなかったけれど自分はイケている、と思っていたのかも。
ブリュッセルの郵便局で切手を購入した際、窓口のおじさんに
「日本人かい?」と尋ねられ「はい」と答えると
「日本のテレホン・カードはキレイだね。私コレクションしているんだ。
良かったら送ってくれない?これ私の住所。ありがとうね」
と名刺を渡された。
・・・この名刺、ばら撒いてるんだなぁ・・・・と思ったけれど、30枚ほど送ってあげた。
(私がまだ旅している間にギルバートがカードを郵送してくれたが
その際『2000円もかかった!』と会った時言われた)

ドイツの、文房具を売っているお店に入って、メモやペンをあれこれ見ているのは楽しかった。
で、今LYRAの鉛筆刷りが手元に。
鉛筆って書き心地が妙に良い。
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by mercedes88 | 2007-10-27 07:23 | 思い出

タイトルの無い鼻歌

朝目が覚めると、すぐにそれは流れ始めた。

キレイな曲で、途切れること無く、頭の中をメロディーが進む。
細かい所もきちんと、演奏される曲。
でも、一体どうしてこの曲が頭の中で流れているのか分らない。
なぜなら、この曲のタイトルも知らない。
どうしてこれほど細部まで覚えているのかも謎。
なんていう曲だろう・・・。
そう思いながらも曲は繰り返し流れている。

1時間ほど歩く。
島の北の端にある神社の清掃とBBQ。
清掃だけしてBBQの始まる前に帰ることにしてまた歩く。
途中岩場から海まで行って足を海水につけた。
じっとりしていた体から一瞬にして汗が引く感じ。
冷たい海の水が心地良い。
それが引き金となり、また曲が流れ始めた。
朝からの今日のテーマ曲。

海の水に足を付けながらメロディーを口ずさんでみた。
中々上手く鼻歌出来る。
きっと何度も繰り返し聴いた曲なんだろう。
一旦考える事は止めて、海の水の冷たさを楽しんでいた。
浅瀬の海に色とりどりの海草が揺れている。
緑、黄色、そして赤。
しっかりとした茎の赤い水中植物で答えが出た。
赤いホイッスル。

4年前に帰国した友人の
私の街での最後のライブステージを録画した。
DVDにしてコピーを作って共通に知人にも贈った。
そして当時は本当にそのライブを良く聴いた。
見ると言うより聴くと言った方が正しい。
友人は1曲目に赤いホイッスルで演奏する。
なんとも平和なメロディーで
満腹でお腹が丁度妊婦の様に大きくなって
画面のアチコチで空を見て大の字になっている人達が描かれた
ブリューゲルの絵を、私に思い浮かばせた曲。
最後の終り方が細長いシッポに様な感じで
ヒュルヒュルリッ!
と言う感じで曲は終る。最後の音が2つだけ高い所で上がる感覚。
1度聴いて好きになった、そう言う類の曲。

友人に伝えてみようか。
まだ頭の中に、あの曲が残っているんだよ、と。
きっと驚くだろう。
でも、キチンと覚えていて
その辺の事を、からかわれるとイヤだから
このまま黙って友人には知らせず
頭の中で曲を楽しむ事にしょう。


1度聴いただけで好きになる曲。
彼らはその手のエキスパートなのだろう。
頭の中のどこかに、浅いけれど長い傷をスゥーと描く。
タイトルは無いけれど
眩しい光で輝いている。
そう言う曲がこれから何曲も
私の頭の中に集まるといいなぁ。
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by mercedes88 | 2007-06-30 23:37 | 思い出

最高に幸せな瞬間

最近結婚披露宴をテレビでした芸能人の地元では
テレビの視聴率が40%代になった時があったとか。

そう言う華やかで喜ばしい時が人生にあるのは良いことだ。
じゃ、今までで一番私をいい顔にした最高の出来事はなんだっただろう・・・と
ヒマなので考えた。

まず初めに思い出した事はもちろん、ブライアン・アダムスに会った事。
見かけたとかじゃなく、本当に会って話をした。
しかも私は可愛いことにあの時、驚きのあまり動けないでいると
”私”のブライアンが横断歩道を歩いてきて私に手を差し伸べた。
もちろんそれは私が『うゎ、彼だわッ!』状態で笹で切って作った目を納豆くらいに大きくして
両手を口に持って言って、ムンクのバージョン違いの「叫び」のポーズを取ったから
彼が自分のファンとかその手の者だと分って取った自然な行為なのだろう。
驚く事は無いのかもしれない、が、もちろん私は頭が真っ白になった。
笑顔は作れなかったにしてもお付きに人2人と歩くブライアン・アダムスを
5分程度『私1人のもの』に出来た事は貴重な事だ。
彼の顔でなく声に惹かれていた私は彼のナマ声を聞いてクラクラしたのを覚えている。
そう言う類で行けばブルース・スプリングスティーンを見たのもかなり良いコトだ。
と、言ってもこの場合はブライアン・アダムスの時とは違い彼はリムジンの後ろにいた。
一緒にライブへ出掛ける友達がやって来た時
「今、たった今、彼がリムでここ通った!」と言ったら
『うそっ!損したなーボクも見たかった~』と言ったが
私は冷静に「あの・・・今から私たち彼のライブ行くんだけど・・・」と思った。
芸能人関係で行くと
2年前アメリカから帰国して東京に留まってジャズのサイトの方々と夕食をした際
待ち合わせの品川駅の改札あたりにいたら
改札へ向かっているダニエル・カールさんとすれ違った。
”あら・・・・・”
私のリアクションはそれだけ。ジャズのサイトの方々にも彼を見た事を話していない。
東京にいれば、そう言うことはきっと山の様にある事なのだろう・・・と思ったから。
これが私の街だと違う。
ギルバートと歩いていると、筑紫哲也さんとすれ違った。
私は横断歩道で立ち止まり、振り返り、筑紫さんを見て、小さな声で叫んだ。
『筑紫哲也さんだぁ~』
まだ筑紫さんの報道番組は始まって間が無い頃だったので
ギルバートは筑紫さんの事を知らなかった。
ギルバートは私の壊れた様子を見ながら
「誰?」と聞いたので
「ジャーナリストで今はテレビのニュース番組やっている人」と答えると
「あんなおじいさんが好きなの?」と聞くので
「髪はグレイだけれど、多分ギル、あなたと歳、大して変わらないと思う」と答えると
冗談じゃない、オレはヤツよりイカしてるぜーって顔して『フンッ』と言った後
それ以上筑紫さんについてのコメントは無かった。
が、数日後、電話で話していたギルバートが私を突付いて聞いてきた。
『あの人なんて人だった?この間歩道で会った人?』
私は筑紫哲也と答えると、電話している相手に自慢げにその事を話していた。
テレビで筑紫さんを見て、手ごわい=自慢出来る、と思ったのかもしれない。

結構、瞬間視聴率高得点のポイントがあるこれまでの私の人生。
しかしこうして書いてみると、似たような感じの出来事ばかりで
花火が上がり、ファンファーレがなる出来事ではない。
たとえ私の顔が瞬時に笑顔になったとしても。
そして思い出した。
これこそ、花火が上がり、ファンファーレが鳴った時だ。

ある時、右足を一歩後ろへ動かした瞬間、人の足を踏んでしまった。
思い振り返るとそこにいたのはピーターパンだった。
振り返りながら「I'm sorry」と言ったが
相手の事が分ると私は驚いて左手で口を塞いでしまった。
ピーターパンは「It's ok!」と言って彼の右手を広げ左右に揺らした。
ディズニーワールド、マジックキングダムでの出来事。
パレードの通り過ぎた後、ひと気の無くなった通りに立ち
つわものどもの夢の後の写真を撮ろうとファインダーを覗いていた時の事。
私が急いでカメラを向けるとその緑色の妖精は実にチャーミングな笑顔を見せ
はにかみながら数秒私に時間をくれた。
そして「see you」と言って通りの小道へ入っていった。
私の頭の中で
ちょっと前に見た花火が再びあがり
心踊らすブラスバンドのファンファーレが高々に鳴り響いた。
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by mercedes88 | 2007-06-05 09:21 | 思い出